【バンコク浦松丈二】国連総会出席のためニューヨークに滞在しているタイのタクシン首相はタイ時間の19日午後10時(日本時間20日午前0時)すぎから、タイ国内のテレビを通じ、非常事態宣言を発表した。しかし、首相に反対する部隊は首相府やテレビ局を占拠し、バンコク市内の制圧を発表した。
タイ:クーデター、軍「首都制圧」 首相は非常事態宣言@今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

軍事クーデターとはいえ銃の1発も発射されてないようですが。*1


タイの元首はプミポン・アドゥンヤデート国王で日本と同じ立憲君主制を取っているようですが、日本と大きく違うのは三軍(陸海空)の統帥を元首が行うことですかね。つまり体制としては政務を司るタクシン首相の政府と三軍で構成される軍部は国王の元にいるという。
つまりは、一般的に軍事クーデターと言われる「軍部が政府に成り代わる」動きと、今回のタイのそれは一線を画しているんじゃないかな。何だろう。オーナー社長の元の2人の取締役による派閥争い的な感じかな。
結局のところプミポン国王の影響力と求心力が高いタイのことなんで、国王がうまいこと事を納めるんじゃないかなぁと思います。
ただ、軍事クーデターであることは確かなので渡航を予定している人はご注意を。

タイ:政変の発生 (2006/09/20)
1.2006年9月19日夜に発生したタイの政変では、陸軍司令部、アナンタサマ
 ーコム宮殿、チットラダー宮殿等に戦車等が配置されていますが、
 20日0:00現在、一般道路では民間車両も通行しており、全般的に大きな混
 乱は起きていません。しかし、今後の状況については、現段階では予測が
 困難であり、現地の状況を注視していく必要があります。
 
2.つきましては、タイに滞在されている方は、情報収集に努め、念のた
 め、自宅・ホテル等安全な場所に待機してください。また、宮殿、首相
 府、官公庁等周辺、大規模な集会や兵士などが集まっている場所には近づ
 かないよう注意してください。他方、タイへの渡航を予定されている方
 は、状況が明らかになるまで不要不急の渡航を差し控えるようお勧めしま
 す。
3.なお、、タイへの離発着便については、20日0:00現在、特段の混乱はあ
 りませんが、今後空港までの交通路の渋滞やフライト便の欠航等も考えら
 れますので、事前に状況を確認することをお勧めします。(バンコク(ド
 ンムアン)国際空港電話番号:国際電話会社番号の後に02-535-1111)
海外安全ホームページ@外務省

むしろこっちのが心配なタイ南部のイスラム状況

id:twisted0517:20060802:1154483586 の話。続報が出てこないからどうなってるんだかわからん。と思ったら続報でまくりでした。
http://news.google.com/news?q=%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8D%97%E9%83%A8+%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0&hl=ja&lr=&sa=X&oi=news&ct=title
うへぇ。

ニュースから事件の流れを見てみる

16世紀?20世紀初頭

1795-1796タイ王国のラーマ1世によりタイの統治下に編入

アユタヤ王朝がビルマに滅ぼされると、パタニ王国は完全に自立したが、バンコクに小タイ族の王朝であるチャクリー王朝が成立し、その君主・ラーマ1世は1795年から96年にかけてパタニを再び征服し、小邦に分割して支配した。
パタニ王国 – Wikipedia

パタニ王国は上のWikipediaにも記載されているように、

マレー半島北部・タイ南部には古くはランカスカ王国があり、現在のマレーシア・クダ州、クランタン州、トレンガヌ州およびタイ国のパッターニー県(パタニ)、ヤラー県(ジョロール)、ソンクラー県(シンゴラ)、サトゥーン県(ストゥール)を領有していた。この王朝は初期にはヒンドゥー教を国教としていたが後の13世紀中期にイスラーム化した。
後にこのランカスカ王国は13世紀頃遷都し、パタニ王国が成立した。そのときラジャ・スリ・ワンサによってパタニの名を戴いたが、彼が遷都する場所を指さし、「パタイ・イニ(この浜にしよう)」と叫んだことが発端となっていると地元の伝承は言う。別の伝承によると遷都するかなり前にパック・タニ(Pak Tani、タニおじさんの意)という有徳者が住んでいたためそう呼ばれるようになったとする。
いずれにせよ、遷都当時の首都は現在のパッターニー市内ではなく現在のクルセあたりであると考えられる。このパタニ王国は現在マレー王朝のなかで一番古いイスラム王国であると考えられている。

と、13世紀中頃からの長い歴史をもつムスリムの国というか土地柄というのがひとつのキーになっている気がする。
んで、このパタニ王国の一部が1902年タイ(当時シャム)のラーマ5世*2によって南部に併合されると。

このやまない暴力は、1902年以降伏在してきた紛争の最新の局面である。この年、シャム(タイの当時の名前)が、かつてムスリムのパタニ王国の一部であった南部3県を併合したのである。2004年1月の紛争の爆発は1990年代の小康状態の後に起こった。タイ政府はこの時期、70年代以来同地域で活動していたマレー系ムスリムの分離主義的な反乱勢力を封じ込めることができていると考えていた。
世界・タイ南部:マレー系住民への抑圧続く@JanJan

タイはもともと仏教の影響が大きく現在も国民の95%が仏教徒であるような純然たる仏教国で、ここにムスリムを併合したことによって文化的な衝突が起こっていたと。
ここまでが前提。

とんで21世紀

現在の首相タクシン・チナワットが政権をとる。
タクシン首相の政策は強力な経済発展と中央集権の強化に向けられているようで、経済的には年6%を超える成長率と30バーツ政策に代表される低所得層向けの政策、一村一品運動などによって堅実かつ急速な発展を遂げた一方、治安維持などの観点から特に南部に対する圧力を強めていた。
これは前のエントリでも触れたジェマア・イスラミアなどのイスラム原理主義者組織の動きにも関連してくるわけですが、この圧力に対する住民 特にパタニ王国の流れをくむマレー系ムスリムの感情が徐々に中央から離れていっていることが現在の南部騒乱の一因なんじゃないかと思います。

そして前回のエントリ(2006/8/2)以降

(8/31) タイで銀行22支店同時爆弾テロ
(9/16) タイで爆弾テロ、4人死亡 40人超負傷
のように爆弾テロが頻発してました。

そんな中2006/9/1

【ハノイ=鈴木勝比古】タイ陸軍のソンティ司令官が一日、南部で続く爆弾テロ事件の解決に向けイスラム武装組織と対話を行う考えを表明し、一部イスラム武装組織が歓迎しました。
タイ南部では最近、テロ事件が続発しており、タイ国民全体に危機感が強まっている中でのソンティ司令官の発言に歓迎の声があがっています。同司令官はタイで初のイスラム教徒の陸軍司令官です。
 同司令官は一連のテロの背景に「(武装組織による)独立国家を目指す意図がある」との警戒を示しながら、各武装勢力を統括している分離主義組織「パタニ独立統一戦線」と対話を行うため、どこにでも軍幹部を派遣すると語りました。
 この提案後、スウェーデンに拠点を置く分離主義組織「パタニ統一解放機構」が歓迎声明を英字紙ネーションに送りました。南部のイスラム教徒住民の間からも対話を望む声があがっていると伝えられます。
タイ南部爆弾テロ/軍司令官が対話提案/武装勢力側も歓迎声明@赤旗

と、陸軍司令官がムスリムに対しての対話を求めました。
このソンティ司令官こそが今回の軍事クーデターの首謀者です。

タイの首都バンコクで19日夜、軍内の反タクシン首相派によるクーデターがあった。同派は20日未明にテレビを通じて、陸海空軍の代表者がプミポン国王に実権掌握を伝えたと発表。クーデターを主導したソンティ陸軍司令官は、軍と「民主改革評議会」が権力を掌握したと述べた。
CNN.co.jp : タイでクーデター 主導した軍司令官は解任 @CNN

ここからは完全な推測なんですが

今回のクーデターは南部に対して強硬なタクシン首相の政策に対して、ムスリムであるソンティ陸軍司令官の突きつけたNoという意思表示なんじゃないかと。穿ってみれば南部のマレー系ムスリムに対するシンパシーが強い行動原理の中にあるのかなと。
そうなるとこの先完全に実権を掌握した軍部と、海外で足止めを食らっている首相との間で流血の自体が起きる可能性ってのは低いように感じるんですが、プミポン国王の采配次第では南部の独立もひょっとしたらひょっとするんじゃないかと思わなくもないです。

というか、今回の軍事クーデターで南部がどう動くのかが今後のカギになるんじゃないかと思います。