「政治家は常に、使い捨てにされることを覚悟しなければならない」。小泉前首相が7日、昨年の総選挙で当選した自民党の新人議員に訓示した。「選ばれたことに喜びを感じて全力を尽くせ」という気構えを説いたものだが、郵政民営化法案に反対して同党を離党した「郵政反対組」の復党問題がとりざたされているなかだけに、反対組とライバル関係にある議員らは「微妙な言い回し」「誤解されやすい言い方だ」と困惑気味だ。
asahi.com:小泉前首相、新人に訓示 「使い捨てにされることを覚悟」 – 政治
朝日の記事だと微妙に批判的な反応があるように見えますが・・・
全文がさくらさんとこに乗ってました。
さくらの永田町通信: 敵あまたなりとも
ぜひ全文を読んでみてください。
ところが、いい役者でない役者は、自分がセリフがない、自分の役、動作が終わると、ポカーンとしている。それが雰囲気に出ちゃう。ここが、いい役者とそうでない役者の違いなんです。黙っているからといって、見てる人は見てる。皆さんみたいに、演説しているときだけ、自分が質問しているときだけ、選挙民と握手しているときだけ、酒飲むときだけ、お酌しているときだけが政治活動じゃないんですよ。日頃の行動、選挙民は言葉よりも感ずるんですよ。この人は何をしてくれるか、信じることができるか、期待できる、こう雰囲気を出すというのは日頃の行動ですね。よく学び、よく遊べという言葉がある。机の上の勉強だけが学びじゃないんですよ。遊ぶということも必要なんです。だから、これからは、そういう、皆さん努力、どういう政治家になるか楽しみなんですよ。
ただ、政治家っていうのは、常に使い捨てされるということを覚悟しなければいけない。使い捨てにされるっていうことを嫌がっちゃいけない。総理大臣だって使い捨てにされる。国会議員だって、一回一回選挙ごとに使い捨てにされるということを覚悟しなきゃいけない。当たり前なんです。甘えちゃだめです。だからこのとき使ってもらった、選んでもらったということに喜びを感じながら、そのたび全力を尽くす。
さくらの永田町通信: 敵あまたなりとも
これはすごく良いスピーチだな。
こういうスピーチをさらりと出来てしまう所が小泉純一郎の真骨頂なんだろう。
麻生太郎もすごく上手いスピーチをすると思っているけど、こういうのを見ちゃうとやはり小泉純一郎のが一歩秀でてるのを認めざるを得ないな。
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