酒呑みながら勢いで書いてみる。
そもそも法案を作らなきゃならない理由がさっぱりわからないわけで。


現段階の日本が差別の全く無い国だとは思わない。
同和問題にせよ、外国人差別にせよ、障害者差別にせよ少なくとも何らかの問題があるのだろう。
それが現状のままでいいとは思わない。
気に食わないのは、昭和24年に成立し半世紀以上運営されてきた「人権擁護委員法」に対する評価が何らなされないまま新法を作ろうとするその姿勢だ。
この法案を通さなければならない理由および
この法案を通さなければならない理由の補足
で書いた通り、この法案を最大限活用し、人権擁護に当たってきたとは到底思えない現状をして、新法を作ろうとするのであれば、いくらなんでもそれは行政の怠慢に他ならないのではないか。
少なくとも人権擁護委員法の定める委員の職務

(委員の職務)
第11条 人権擁護委員の職務は、左の通りとする。
1.自由人権思想に関する啓もう及び宣伝をなすこと。
2.民間における人権擁護運動の助長に努めること。

が、成果を上げてきたとはとても言いがたいのは間違いない。
社会人として10年近く働いてきた中で、「社会において努力は何ら評価されない。評価されるのは結果のみ」と言うことを身にしみて感じてきた。
これは一般会社員だけに適用される言葉でなく、むしろ、税金によって運営される公共の機関にこそ求められなければならない言葉であろうと思われる。
この一点においては、新法に明確な反対の立場を取る。


しかしながら、国際的な日本の立場としてパリ原則に即した形で国内人権機関を整備しなければならないという事情もあるのは確かだ。
しかし、それが即、新法を作るという理由に足るとは思えない。
さらには、現行法に対してパリ原則に則するには何が不足しているか、何は満たしているかという議論が十分にされているとは思えない。
さらに言えば日本がなぜパリ原則に従わなければならないのかの根幹の議論がされているだろうか。
人権擁護法案10年史を読んだところでさっぱり分からなかった(のは酒のせいかもしれない)。
人権擁護法案反対が一部で盛り上がるのだが…(@極東ブログさん)と併せて見たところで国連常任理事国入りするのに設けられたハードルかもしれない、ということぐらいだ。
ならばそう宣言した上で人権議論を繰り広げてからやればいい。
そうした動きが無いうちに水面下で新法を成立させようとする動きに嫌悪感を覚える。


さらに言うならば、各種問題視されている逆差別や人権ゴロと呼ばれる行為、解同が過去行ってきた糾弾などの行為、さらにはこのような人権の局解を助長するような行為に対し何ら対処法も提示せず、ただひたすらに被人権侵害者の保護にのみ注力しているバランス感覚もおかしいと感じる。
真に「人権擁護」の精神を啓蒙するのであれば、明らかに人権を局解するような意見に対しても人権侵害被疑者と同様、注意、勧告、公表などの対処をすべきではないのか。人権侵害を受けたと訴え出るもののサイドに偏りすぎているこの法案が法の下の公平を期しているとは到底思えないことも反対する理由である。


以上がこの法案に反対する理由だ。
人権擁護委員法は半世紀に渡り国の予算を使用しながら存続してきた。
まずは半世紀に渡る人権擁護局の政策の評価から始めるべきだろう。
それを無くして新たな法律、機関の成立は断固として賛成することはできない。