混乱しつつあるのがイヤン。


「人権が制限される場合がある」ということに付随するもやり。
このへんの議論
「人権擁護法」その3・・川崎市の人権擁護条例@娘通信♪
マンデート難民
刑務所問題
「不法滞在名等の外国人の情報」募集の中止を求めます
について。


「教育機関における体罰賛成」「親の子に対する体罰賛成」という立場からすると、教育機関や親子の間で子供の人権が一定量制限されるべきであると思う。(もちろん程度問題だし、虐待と呼ばれるほどの体罰を肯定するものではないのだけれど)
メディアを見るとこの議論は、「教育機関における体罰」と「親子関係内での体罰」で議論がきれいに(前者は体罰教師として糾弾される傾向が強く、後者はしつけとして肯定的に受け取られる)分かれるのが興味深いな。
これを語る上でしつけ(教育)と虐待の境目がどこかってのが避けて通れないわけで、得てしてそれは「愛を持ってるか」みたいな第三者が判断できない(もしくは極めて難しい)話になってしまうわけで。
児童保護施設が対応に苦慮するのもよく分かるわ。ほんと。
まぁ程度問題はさておき、やっぱり「法的、経済的庇護者(親)が庇護下におかれる児童(子供)に対し合理的な程度で人権を制限することを認める」ってのはやっぱり法案に限らずどこかに記述すべきだと思うな。同じく「教育機関において教育という視点から教育者(教育機関の教職員)が被教育者(生徒)に対し合理的な程度で人権を制限することを認める」ってのも入れるべきかと。
やっぱりどう取り繕っても子供は子供なわけで、理性的な判断をできるわけではないという所を考えたときに、子供が誤った事をした場合それを矯正する義務は親と教育機関にあるわけで(親のが義務は重い)、その中で行われる体罰を人権侵害としてしまうのはさすがに問題じゃね?


上の例でいうところの入国管理局や刑務所での人権侵害はもう少しシンプルで。
入国管理局は国益に基づき外国人の入国を制限する機関と考えることができて、そこでの人権侵害は「国益と個人の人権をはかりにかけて国益を取った」結果と言えるわけで、それはそれで仕方ないんじゃね?と。
その辺には上記のマンデート難民の件や「不法滞在名等の外国人の情報」募集なんかも当てはまって、やっぱり個人の人権は国益全体と比べて勝っているわけでもないよ。ってことだと思う。
そりゃそうだ。
つーか「不法滞在名等の外国人の情報0」のサイトの声名も妙だな。
不法滞在者は不法であるがゆえに排除されなければならない存在なわけで、これを奨励し国民もそれに協力することは「極めて妥当な措置」としか思えないし。

1. 通報者が匿名で、主観的に「違反者と思われる人」の個人情報(名前や住所、電話番号、職場や国籍など)を、「近所迷惑」「不安」「利害関係」など、違反行為とは全く関係ない事由により(通報動機の選択肢より)通報することを奨励していること。

この辺は理解できないでもないんだけど。
どうもこのサイトでは「人権は国益に優先する」ものだと捕らえているようだ。
それが一概におかしいとは言わなくても、「国のために死ね」ということを肯定するものでもないけれど。
やっぱり無条件で「人権は侵されざる権利」とするのはおかしいと思う。


刑務所は「罪を償うところ」であったり「罪を反省し社会復帰を目指す場所」であったりと捕らえ方はあるけど、やっぱり刑務所は刑務所で監獄(jail)なわけだ。
そこに収容されるべき絶対条件として罪を犯す(法を犯す)ことなわけで、部分的には他人の人権を侵害(殺人、傷害等々)してきた人間も収容されている。
そんなところでフルに人権を認めちゃうってのはどうなん?
とはいえ、名古屋の受刑者虐待殺人みたいなのを肯定するわけではないんだけど、その手の人権団体が標榜してる受刑者の人権侵害が云々ってのに胡散臭さを感じてる身としては、ここにも「人権は合法的な範疇で制限される」と明記したい感じ。


ただ、どう表記したらいいのかがもやもや。


そのうち触れる
他の人の修正案: http://plaza.rakuten.co.jp/scland/diary/200504020002/
テーマ 人権擁護法案って?:
http://plaza.rakuten.co.jp/thm/?PageId=146286