出来高評価のもとでは、人間の脳から生きがい感が失われる。
失敗や挫折の中にあっても、やりたい仕事に取り組んでいるときに脳は活力を得る。
ノーベル賞候補に挙げられた脳科学者の故・松本元氏は、
このような研究成果を残した。
成果主義と脳科学とを結びつけたときに、見えてくるものは何だろうか。
最近よくある感じの論調。
なんか違うんだよなぁ。
「成果主義を取り入れて成功した会社は日本にひとつもありません」
と、開口一番、すっぱり切って捨てたのは、東京大学大学院経済学研究科の高橋伸夫教授だ。同教授は著書『虚妄の成果主義』で、成果主義とされるものを「(1)できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、(2)成果のようなものに連動した賃金体系で動機付けを図ろうとするすべての考え方」と定義し、それに対する批判を展開した。高橋教授の論旨は明快だ。
「ちょっと考えればわかることですが、ようするに、(1)も(2)も人間社会では不可能なことなんですよ。不可能なことを評価基準にしているわけですから、こんなに不条理でムダなことはありません」
松本脳科学では、コンピュータの能力は出来高で測ることができるが、それを脳にあてはめるのはナンセンスとした。高橋教授も、経済学の観点からまったく同じ見解を出しているわけだ。しかし、会社でそのことは理解されているのだろうか。
「いやあ、日本の会社員って本当に真面目なんです。だから成果主義が導入されると、理解するよりも前に全力で取り組んでしまう。100項目もの評価基準を前に、首をひねって苦しんでいる人事担当者がいる一方で、評価される側には、どんなにがんばってもどうせオレはC評価止まりで、賃金はこのくらいだ、というような無力感が蔓延している。人間は本来、何のために働くか。その基本的なところを、経営者は理解しなくてはならないはずです」
では、そもそも人間は何のために働くのだろうか。
「脳と心」が成果主義を拒絶する理由
結局、成果主義が年俸制とリンクしてないからこんな事になってるんだろうと俺は思うんだけどね。
つまりサラリーマンが月単位で給料を貰い、月単位で評価されるってところから一歩も脱却しないで成果主義を採り入れようとするから社員も雇用側も短期視点での成果や評価にならざるを得ないが故に、長期的な視点での仕事がし辛くなって、結局企業全体が中長期的なビジョンを作る事ができなくなることで企業体質が弱体化してしまう。
そんなとこから破綻してくんだと思う。
思うっつーか身近で見てる限りそうなんだろうと。
そりゃそうだわな。
でかいプロジェクトになればなるほど開発期間が1年以上とか平気であるし、そんなプロジェクトだと初期の設計フェーズとか開発フェーズなんかじゃ成果なんて1個も出てないわけで、開発が完了してからしかインセンティブが支給されない。
しかもインセンティブが支給されても、1年分の実績に対するインセンティブとして妥当と思われる金額は支払われない。(プロジェクト全体に真面目にインセンティブを払うと莫大な現金支出になるから。)
逆に評価側だって困るわな。
まだプロジェクトが完了してないうちに「0設計をしました」っつったってどう評価したらいいかなんて分かりっこないんだから。
まだプロジェクトは完了してねーし。
んじゃ逆に成果主義がうまくいってるとこはどうなってるか見ると大抵の企業が年俸制をとってるんだよね。
年俸での評価であれば1年間の総括的に、評価側の期待値と被雇用側の成果値でそれなりに平滑化した評価ができるし、一時金の支払いも無い。
被雇用者側も給与のベースが変わることで一時金よりも大きなメリットを亨受できる。
これに年次契約なり複数年契約を付けて更新時にレイオフができるようになれば企業側にとっても被雇用者のモチベーションの維持にもプラスに作用するんじゃないかと思う。
うむ。やっぱり年俸+成果主義がいいなぁ。
って
「成果を上げた褒美として、報奨金をもらうことと、普段会えない社長から握手を求められること、どちらが社員にやる気を与えるかというと、それは断然、後者なんです。
「脳と心」が成果主義を拒絶する理由
これは人によるんじゃね?
俺は別に社長とか会長と握手することに何も感じないし。
よっぽどカリスマのある人間じゃないとそれをインセンティブにするのは難しいと思う。
つか脂ギッシュなおっさんと握手して何が嬉しいんだっつの。脂よりも金をくれ。
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