腰痛、胃潰瘍(かいよう)、過敏性腸症候群??。14もの病気の診断書を次々に出して長期間休んでいた奈良市の職員(42)を、懲戒免職処分にすると藤原昭市長が発表した。当然のことだが、あまりにも遅すぎる。
この職員は82年に採用されて、環境清美部の収集課に所属していた。記録が残っている5年9カ月のうち、職員が勤務した日は8日しかない。今年は1日も出勤していない。この間に支払われた給与は約2700万円にのぼる。
奈良市は、同じ病気で90日の休暇を認めている。それ以上休むと休職となり、給与が2割減る。職員は、90日になるまでに別の病気の診断書を出して減額を免れていたという。出勤したうちの3日は特殊勤務手当がつく休日や年末だった。
直属の上司たちは、彼にどう対応してきたのだろう。あまりにもおそまつな人事管理というほかない。
なぜ、こんな事がまかり通ってきたのか、第三者機関を設けて徹底的に調査してもらいたい。勤務状況を採用当時にまでさかのぼって洗い出し、給与の返還を求めるべきだ。でなければ、失った市民の信頼は取り戻せない。
よくわからないんですが、そのへん取材調査するのがジャーナリストなんじゃないでしょうか。
なんでこんなに人任せなんでしょう。
この職員は、事件が明るみに出るまで部落解放同盟奈良県連の役員を務めていた。解放同盟の要望を伝える市との団体交渉の場に幹部として出席していたことも確認されている。
それだけではない。職員の妻は建設業を営み、05年度だけで36件、5千万円相当の事業を市から受注していたことが市の調査でわかった。職員は、病休中にもかかわらず、高級外車で市役所を訪れ、建設関係の部署に出入りする姿を度々見られていた。「仕事をくれ」と頼まれたと証言する建設関係の職員もいる。建設業の営業活動をしていたとすれば、公務員の兼職禁止の規定にも触れる。
一連の問題で会見した藤原市長は「運動団体の幹部であるという意識が、少なからず影響したと推測せざるを得ない」と語っている。
この春には、大阪市でやはり解放同盟の支部長が市有地の駐車場管理をめぐり、市に納入すべき多額の金を着服していたことが発覚した。支部長は、業務上横領罪などで起訴され、罪を認めた。
最近、全国の被差別部落の所在地を記した「部落地名総鑑」の内容を記録したフロッピーディスクが大阪市内でみつかった。結婚や就職時の差別に使われてきた差別図書の電子版だ。深刻な部落差別が依然として残っている。理不尽な差別をなくすように、社会全体でさらに努めなくてはならない。
しかし、解放同盟の役員がからんだ不祥事が相次ぐようなら、差別解消のために地道に活動を続けている多くの人たちの努力が水泡に帰してしまう。
奈良県連は、こうした人物が組織の幹部を務めていた点だけでも市民の信頼をそこなった。事実関係や背景を自らきびしく調査し、公表してもらいたい。
うーん。朝日に対しては自分達で調べろよとしか言う言葉がないわけですが、ここで出てる部落解放同盟奈良県連についてちょいと調べたことを。
部落解放同盟奈良県連
横井支部のページにリンクがあったので踏んでみたら見事に404。現在はページを持っていない模様。横井支部のリンクページのLastModifiedは2005年05月24日 となっていたので、おそらく2005年ぐらいまではHPがあったのかと。
InternetArchiveでもヒットせず。こりゃ発掘は難しいかな。
んじゃ県連まわりで声明を出してる所を探してみると1個だけ見つかった。
奈良市の「休職職員」の「同盟幹部」名刺と営業活動についての見解@奈良県部落解放同盟支部連合会
奈良市環境清美部収集課の職員Aが、過去五年間にわたって給与を満額受けながら病気休暇・休職を繰り返し、その間、たった八日しか出勤していなかったこと、さらに職員Aが病気で休職中にもかかわらず家族が経営する建設業のことでしばしば市役所に出入りしていたこと等が大きくマスコミで取り上げられています。職員Aが部落解放同盟「川口県連」傘下の古市支部長であり奈良市支部協議会副議長の肩書きがあることが報道されて以降、事務所にマスコミ等から問い合わせが殺到したり、われらのNPOなら人権情報センターのホームページへ怒りや非難、中傷や誹謗に満ちた書き込みが続いています。われらは、職員Aが「わが同盟の組織人ではない」と突き放して事足りるとする立場はとりません。われらは十数年まえから「川口県連」と袂を分かち、行政依存を排し、自立と連帯を基調とした運動方針に大胆に転換してきたつもりです。しかし、われらが仲間から第二の「職員A」は出ないとの確信が持てるほどに新しい運動方針が浸透していないからであります。われらが内なる問題として切開し、一定の見解を明らかにしたいと思います。
なかなか好感のもてる声明だなーなどと思いつつ気になるのが「川口県連」なる単語。
川口県キタコレ?
とりあえずぐぐる。
人権擁護局長が水平社博物館へ
視察には水平社博物館理事長の川口正志・奈良県連委員長、辻本正教・県連書記長(中執)、寺澤亮一・奈良人権・部落解放研究所長らが同行した。
川口っつーのはどうやら川口正志なる人物のことらしい。
水平社博物館でぐぐってみたら館のHPが出てきた。
そこは世の常(?)リンクページを見たら奈良県連のHPみつけた。
えっと。中学生の「ほーむぺーじ」かっ(くりぃむ上田風に
見ためはさておきなんの見解も声明も出していないようだ。
その川口氏が館長をつとめる水平社博物館のHPをのぞいてみると、
「賛助会」および「浄財の寄附」について
下記特典を設け、賛助会会員を募集いたします。
◆特典
◇入館無料 個人会員は本人のみ無料。
法人会員は、1回につき、10人まで入館無料。特別入館券100枚を謹呈。
◇当館機関紙『ルシファー』(年1回発行、個人1冊、法人10冊)の無料配布。
◇当館グッズの一割引。(但し、委託販売品は除きます。)
“人権のふるさと”の歌
作詞 川口正志 作曲 掖上小学校
ルシファの星が 煌いている
正義に立てとの 導きだ
勇猛三青年 リーダーに
ロ兼間丘に 荊冠旗がはためいた
元気な歌声 聞こえてきます
なぜにルシファー。夢見がちな文学少女か。
と、ツッコミつつ探してみたら水平社の設立者の西光万吉なる人物の叙事詩が起源くさいが
西光万吉(本名清原一隆)
一九二〇年に大福村の三人の青年が創刊した「警鐘」に、西光万吉(当時二十六歳)は翌年、西光寺一というペンネームで「鐘によせて」という叙事詩を寄稿しました。一部を抜粋すると
生命の鐘つき男よ
なんとおまへの御苦労よ
おまへはたっしゃで早起きで
たっしゃで早起きでお人よし
そしておまへには
いろがあるそな
その恋やつれ
なんとおまへの御苦労よ
(中略)
わしはよいものをことづかった
おまへのいろからたのまれて
薔薇でかざった十字架をことづかった
(中略)
荊の冠をとるひまもなく
その十字架を抱擁し
その薔薇に接吻するであらう
おまへは
(中略)
黎明に鐘がなる
追放されたるイブとアダムは
悲嘆と当惑の頭をあげる
そこから親鸞が同行し
ルシファの蛇が案内する
地獄のかなた、人間の浄土よ
なんでルシファなのかよーわからん。誰か解説タノム
えれー脱線したので川口県連まで話を戻してこれは何だっつーとこを調べてみると
山下さんの本から思うこと
山下力『被差別部落のわが半生』平凡社
と、どうも上に出した奈良県部落解放同盟支部連合会の会長 山下力って人の著書にしか当たらないという妙な状況に。
自分では読んでないので下のリンク先から
組織名変更
「一九九三年の「山川戦争」以来、奈良県には二つの「部落解放同盟奈良県連合会」が存在し、川口、山下と二人の委員長が存在するようになった。
二〇〇一年四月の第四十二回解同奈良県連大会において、私たちは「六五答申」路線のみならず、全国水平社以来の基本路線をも根本から見直すという画期的な基調報告を明らかにしたが、同時に組織名を「奈良県部落解放同盟支部連合会」に変更した。
なぜあえて名前を変えたかといえば、部落解放運動も国政同様「中央集権」が行き過ぎて、その弊害がひどくなっていると考えたからである。運動体も地域地域の実情に合わせてキメの細かい「地方分権」的な運動が必要なのだ。各「支部」での地域活動こそが最も大事だという考え方を強く打ち出したいと思ったのである。私は実は「部落解放同盟」という名前も変えてもいいと思っていた。」(206頁”ﴀ207頁)
山川戦争で探ってみるとまた同じ本に。
via nanayaのひとりごと
1969年「同和対策事業特別措置法」が施行、名前を変えながら、33年の間に約15兆円という公費が関連事業へ投入された。
生活は少しづつ向上していった。しかし新しい問題をもひき起こした。
「部落差別は部落差別としてわかるけど、何で部落だけ特別に、さまざまな施策をいつまでも積み増しするんや。逆差別やないか。わしら部落外の貧乏人の面倒もみんかい!」というようなもっともな声があがる。
「私の事を利権屋と言うけれども、私は部落の人が全員、ハタから見てうらやましがられるような金持ちになって欲しいと思っている。」といった川口委員長と、運動体のあり方に疑問を持っていた山下氏は対立。それが山川戦争という形で組織の分裂に至った。
うーん。
奈良県連は完全に2つの組織になってるわけか。
結局の所すべてのソースが山川氏にたどり着いてしまうのを差し引いても今回の問題は川口県連側の問題っつーことになりそうだな。
いやぁややこしい。
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