前のエントリからの続きでアムネスティー周りを色々読んでみた。
死刑廃止info! アムネスティ死刑廃止ネットワークセンター
やっぱ廃止なんてしちゃいかんだろ。
少なくとも「まだ」
以下だらだら書いてみる。

死刑反対への市民運動への不信

アムネスティは
12月25日の死刑執行に強く抗議します。

12月25日、死刑確定者の日高広明さん(広島拘置所)、福岡道雄さん(大阪拘置 所)、秋山芳光さん(東京拘置所)、藤波芳夫さん(東京拘置所)に対して死刑が 執行されました。
アムネスティは、すべての死刑に例外なく反対するという立場から、今回の死刑執行に抗議する緊急キャンペーンを行います。
下記の宛先にメール、ハガキ、FAXを出すことによって死刑執行に対する抗議を行ってください。
(中略)  
【文案】
12月25日の死刑執行に強く抗議します。
死刑は生きる権利を奪う、残虐で非人道的な刑罰です。
世界ではすでに半数以上の国が死刑を廃止しており、
死刑廃止はもはや世界の趨勢となっています。
また、日本政府は、1998年11月に国連の自由権規約委員会から
死刑廃止を目指して具体的な措置をとるよう勧告されていました。
このような状況の下で行われた死刑は、死刑廃止へと向かう世界の流れに
真っ向から対立するものです。
死刑廃止を願う国内外の声に真摯に耳を傾け、直ちに
国会の場で死刑廃止に向けて議論を深めていただくよう強く要請いたします。
死刑執行抗議

死刑に反対するのも信条でしょうし結構ですが、日本が法治国家である以上刑事訴訟法に従って法務大臣は6ヶ月以内に執行書に判を押さなきゃならんのです。
それに大して抗議するのはお門違いもいいとことしか考えられないし、現状国会議員の中で死刑廃止論者が多いわけでも無い事を考えれば国民の信を得ているとは到底言えないなかでこのような抗議をしていることでアムネスティーはノイジーマイノリティであるとの批判を免れないでしょう。
そしてマジョリティの意見よりもマイノリティの意見を重用することは民主主義とは言わないのです。
総じて死刑廃止論にまつわる運動では手段の正当化が目につきます。いかなる目的のためであっても手段が正当化されるわけじゃない、ルールはルールで守らねばならない事もわかっていないような団体に信を置くことはどうしてもできんのです。

人権にまつわる矛盾

死刑廃止論者の主張で目立つのが「人が人を殺める事はいかなる理由であれ野蛮であり許すべきではない」

 「死刑囚に人権があるか?」??先ほど申し上げたとおり、人間として存在する限りはかけがえのない命という価値を持っており、もちろん人権はあります。死刑は命という最大の人権を、刑罰の名の下に??いわゆる公共の福祉の名の下に??合法的に奪おうとします。ですから、死刑は国家による殺人であり、最大の人権侵害です。
著名人メッセージ・伊藤真さん

という意見。
ここで結局出てくるのが「加害者によって蹂躙された被害者の人権は加害者の人権よりも軽いのか」という疑問。少なくとも日本において一人を殺しただけでは死刑が適用される事が稀であることを考えれば必然的に死刑を廃止するということは2人以上の被害者の人権を蹂躙した加害者の人権は被害者のそれよりも重いということを認めなければならないはず。
でもそれを認めることは人の価値には差があることを認めなければならないしそれこそ真の差別主義者だろう。認めない事は罪に対する罰のリスクの不公平を容認しなければならない。
どうもどちらの話も出てこないのでどういう立場なのかはよくわからんが。
あとは国家が人の命を奪う権利を持つ事が無条件にいけないという

国家にとっての死刑執行とは権力の行使です。国が人間を殺す権力を持っているということが問題なのです。戦争もそうです。
著名人メッセージ・中山千夏さん

こんな意見も。
それは既に死刑廃止論から遠く離れた話になってる気がする。「主体が誰であれ他者の命を奪う事は良くない」という意見には一定程度賛同できるが、「国が他者の命を奪う事は個人が奪う場合以上に問題」という意見にはとてもじゃないけど賛同できない。

「日本は、国家としてなってない」と言う人たちがいますよね。そういう人たちのなかには、国は生殺与奪の権利を持っていなくてはいけないという考えがあります。つまり、国は悪い人間や世の中にとってマイナスになる人間は、時と場合によっては殺してよいのだというものです。国の行く手を阻んだり、国が侵略された場合には武力を持って「行って殺してこい」と国民に命令する、そういう力を持っているのが国家であると。

まさかとは思いますが、この「国は生殺与奪の権利を持っていなくてはいけないという考え」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います。
参考:【Dr.林】「統合失調症です」のガイドライン
まぁこの中山さんは変な方向に突き抜けちゃってるから置いといて、結局のところ「人命(人権)は何より重い」と言いながらその重い人命を奪った事に対する罰があまりにも軽く不釣り合いであるところが釈然としない根源なんだと思う。

死刑でも被害者家族は救われないという意見への感情的反発

「もし自分が被害者の身内だったら、やはり犯人を死刑にしたいじゃないか」と簡単に言う前にもう一度、観念的でなく考えてほしいのです。加害者を死刑にして、被害者やその遺族は本当にすっきりしたと思うだろうか、と。
殺してしまってすっきりすると思うのは、実は私たちが第三者だからなのです。当事者だったら、いくら犯人を殺したって気持ちはおさまらないですよ。「殺したって殺し足りない」というのが本当の被害者感情です。
著名人メッセージ・中山千夏さん

その辺が感情的には一番受け付けないところだな。
少なくとも俺の身近な人間が犯罪によって命を断たれた場合(たとえ加害者が俺の身内であったとしても)同じ目にあわせる。可能な限り追いつめて苦痛と恐怖を何倍も味わわせて殺す。そこまでして初めてスタートラインなんだと思う。きっとそれでも気持ちなんて収まらないだろうが、気持ちが収まらないから殺さなくていい(殺してはいけない)なんて事にはならない。
でも残念ながら法によってそれが許されないから国家による代執行を求めるんだろう。それこそが死刑であり死刑を存続しなければならない理由だと思う。
俺が被害者家族だったら、死刑が執行されるまでスタートラインにも立つ事ができない。
そんな二次被害まで被害者家族に強要する事が到底正当な事だとは思えん。

つーか

アムネスティーが犯罪被害者へのケアをやってるなんてのは聞いた事が無いんだが。
まずそっちをやって被害者のケアは十分だからもう死刑なんて必要ないってするのが本筋じゃないのかと。